32)母乳育児の重要性

 「母乳育児は生物学的当為である」と、日本の新生児医療の草分けである故山内逸郎先生はおっしゃいました。上野動物園のパンダのシンシンは、200グラムにも満たないシャンシャンを母乳のみで上手に育てました。千グラムに満たない小さな赤ちゃんを診療する現場では、母乳育児の重要性を日々実感します。

 1989年、世界保健機関(WHO)と国連児童基金(ユニセフ)は共同で、「母乳育児の保護、促進そして支援、産科施設の特別な役割『母乳育児成功のための10カ条』」の声明を出しました。毎日失われていく小さな命が、母乳育児を進めることによって、その多くが救えると試算したからです。昨年、その10カ条が改訂され、母乳代替品の宣伝をしてはいけないことなどを定めた国際規準(WHOコード)の遵守(じゅんしゅ)が加わりました。

 母乳育児のよい点は科学的に明らかになっています。世界的に権威のある医学雑誌には母乳育児の特集が掲載され、母乳育児は(1)下痢による入院を72%、呼吸器感染症による入院を57%防ぐ(2)乳児突然死症候群を36%減少させる(3)壊死(えし)性腸炎を58%減少させる(4)長い母乳授乳は将来の肥満を26%、2型糖尿病を35%減少させる。また、母乳育児をしている母親は(5)12カ月授乳するごとに進行乳がんの頻度が4・3%減少する(6)卵巣がんは30%減少する(7)うつ病を減少させる−とありました。

 これらの理由から、「世界で年間82万人の5歳以下の子どもの死亡と、2万人の乳がんの死亡を防ぐことができる」と明記されていました。

 新生児死亡率、乳児死亡率が世界で最も低いわが国においては、小さな命を救うという点では母乳育児の効果は少ないかもしれません。しかし、母乳育児にはもっと大事なことが含まれています。授乳に関係するプロラクチン、オキシトシンは母性ホルモン、愛情ホルモンとも呼ばれており、母子の愛着形成に深く関わっています。

 「胸乳を飲むことによりヒトの子は人間になり、胸乳を与えることによって分娩(ぶんべん)した女は初めて母親になる」という言葉も山内先生のものです。いじめや虐待、自殺などの社会問題が多い現代だからこそ、楽しい母乳育児ができるように母子を支援する仕組みが求められています。

 永山善久(新潟市民病院総合周産期母子医療センター・新生児内科)